【戦争話】様々なミスと思惑が絡み合い悲劇と犠牲者を生んだ沖縄戦

沖縄戦 第二次世界大戦 大東亜戦争 太平洋戦争
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安芸守
戦時下の日本のことを知ってほしい、安芸守です!

今回の記事では第二次世界大戦・大東亜戦争(太平洋戦争)末期の沖縄県で起きた地上戦のお話をしようと思っています。

どうぞ最後までお付き合い頂き戦争の悲惨さを少しでも知って頂き平和について考えて下さい。




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そもそも沖縄戦とは

沖縄戦とは1945年3月より沖縄諸島に上陸したアメリカ・イギリス連合と日本軍との間で行われた地上戦です。

主要な戦闘は沖縄本島で行われ1945年(昭和20年)3月26日開始、組織・集団的な戦闘は4月2日に開始して約2か月半後の6月23日に日本軍敗北・アメリカによる沖縄占領という形で戦闘終結に至ることになりました。

この戦闘はアメリカ軍が1945年(昭和20年)1月に策定した「第10軍作戦計画アイスバーグ」を基に行われ「アイスバーグ作戦」とも言われています。

アイスバーグ作戦とは

アイスバーグとは日本語で「氷山」を意味しています。

この作戦の主な主旨は空襲による本土攻撃をしているにも関わらず一向に戦闘継続の意思を持っていた日本に対して

  • サイパン、グアム、テニアンといったマリアナ諸島の米軍基地と共同し更なる日本への空襲・爆撃を行うための航空基地の確保・建造
  • 日本本土への上陸・侵攻のための補給基地の確保・建造

上記2つの目的がありました。

安芸守
つまり1945年(昭和20年)8月15日に日本が降伏しなかった場合アメリカ軍が日本の本土に上陸したこともあり得たということになります。

沖縄戦の戦線展開

日本軍は約11万人の戦闘員つまり兵士がいたが沖縄県外つまち本土から派遣された兵士は11万人の兵士のうち5000人ほどしかいなかったとされている。

なぜこんなにも増援人員が少なかったというと映画「硫黄島からの手紙」でも有名な硫黄島上陸の後日本はアメリカ軍が次に侵攻してくるのは台湾または小笠原諸島への侵攻と予想が2つに割れていたこと沖縄への侵攻・上陸は視野に入れてなかったとも言われている。

結果的にアメリカ軍は日本の反撃意思喪失や近海の掃海作戦として事前攻撃を開始。九州や瀬戸内海への空襲を行い九州沖航空選戦にて日本の航空艦隊の過半数を喪失させることに成功。アメリカも日本の反撃で艦隊を一部喪失するもイギリスの増援部隊もあり艦隊被害の補填を行うことに成功している。

後日、3月23日は沖縄周辺域の空襲を本格化させ沖縄増援部隊の航空団を全滅、さらに戦争遂行能力の低下を目的に港や航路などにと並行して本土空襲・爆撃も活発化させることで沖縄や近海の離島への補給路を断つ飢餓作戦を実施・成功させ沖縄上陸の準備を着実に進めていきました。

安芸守
アメリカ軍がいかに緻密で物量的にも大規模であるかが分かります。

上空からみた慶良間諸島です。

慶良間諸島

同日の3月23日は奄美大島など沖縄の主要離島を空襲も開始、そして沖縄本土上陸に先駆けて泊地と呼ばれる船が安全に停泊できる場所の確保と水上基地確保を目的に慶良間諸島に上陸、慶良間諸島の戦いが行われ29日までに慶良間諸島全島を占領、ついで先島諸島の戦いが行われついに4月1日に沖縄本土への上陸を許すことになりました。

ちなに3月19日の時点でもまだ台湾侵攻と思っていた日本ですが24日にようやく沖縄信仰だと思ったようです。

安芸守
時すでに遅しですね…。

そして上陸した4月1日から降伏し占領される6月23日まで住民を含めた地上戦が展開。上陸後沖縄南部だと思っていた戦闘はアメリカ軍の奇襲により沖縄北部の戦いから始まり、沖縄南部の戦い、首里戦線前衛陣地の戦い、日本軍総攻撃とその失敗、首里防衛線崩壊に伴いアメリカ軍の本土上陸を遅らせるため本島南部に退避したことが泥沼の戦闘が繰り広げられる大きな要因のようです。

そしてその最中、住民の集団自決・集団身投げも後を絶たずニュースでも話題になったチビチリガマや喜屋武岬から海への身投げ、アメリカ軍の攻撃で外に出られず地下壕で亡くなったひめゆり学徒隊などがある。

他、アメリカ軍による住民殺害も行われた。

現在の喜屋武岬になります。

喜屋武岬

被害

協力者といった戦闘参加者を含む兵士などの戦闘員死亡者数は約15万人、一般人は4万人で沖縄戦による日本の死亡者は約19万人と言われている。

現在は再建されているが日本軍基地があったことから砲撃などを受けて首里城も焼失している。

1972年(昭和47年)5月15日に沖縄返還と呼ばれ沖縄本土復帰が叶う27年もの長い間、沖縄はアメリカの支配下におかれることになり本土復帰した現在でも米軍基地問題やアメリカ兵による事件が後を絶ちません。

最後に

駆け足になりましたが沖縄戦の話をしてきましたがいかがでしたか。

住民殺害、集団自決、集団身投げ…非常に怖かったと思いますしもっと生きたいと願っていたと考えると悲痛な気持ち。

この平和を維持するとともに世界中には内戦などで苦しんでいる人もたくさんいます。世界が平和になるための努力、行動、模索。これが私たちに課せられている問題ではないでしょうか。先人達の思いを無駄にしてはいけません。

詳細情報

ひめゆりの塔

【住所】〒901-0344 沖縄県 糸満市字伊原671-1

チビチリガマ

【住所】〒904-0322 沖縄県中頭郡読谷村波平1153

喜屋武岬

【住所】〒901-0354 沖縄県糸満市字喜屋武
安芸守
沖縄には平和学習ができる施設や資料館、石碑がたくさんあります。より多くの情報を知りたい場合は下記サイトにリンクを貼っておきますのでアクセスしてみて下さい。
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